塙 和明
塙 和明(はなわ かずあき:子ども学部 子ども学科)
主な担当授業:児童福祉、障害児保育、子ども(幼児)理解の基礎
専門:視覚障害心理学 点字触読の科学
主な担当授業:児童福祉、障害児保育、子ども(幼児)理解の基礎
専門:視覚障害心理学 点字触読の科学
ページ内目次
点字って知ってますか?
点字と墨字
皆さんは点字ってご存知ですか?実は私も大学に入って初めて点字というものを学びました。私の専攻したのは心理学の中でも特殊な心理学で視覚障害に関係する事項(視覚やそれに代わる触覚なども)を心理学的に考察するという変わった学問領域でした。
視覚障害の子どもたちが小学校に入って初めて学ぶ文字が点字というものです。皆さんは小学校に入学して学んだ文字は平仮名や漢字やアルファベットですが、それはすべて教科書に印刷された文字です。私たちはこの文字のことを特に特別な言い方はしていません。
でも、視覚障害の子どもたちにとって自分たちが学ぶ文字を「点字」という言い方をしているのですから、健常者が使う文字のことも特別な呼び方をしなくては区別ができません。そのため、彼らは私たちが使用している文字のことを「墨字」という言い方をしています。
視覚障害の子どもたちが小学校に入って初めて学ぶ文字が点字というものです。皆さんは小学校に入学して学んだ文字は平仮名や漢字やアルファベットですが、それはすべて教科書に印刷された文字です。私たちはこの文字のことを特に特別な言い方はしていません。
でも、視覚障害の子どもたちにとって自分たちが学ぶ文字を「点字」という言い方をしているのですから、健常者が使う文字のことも特別な呼び方をしなくては区別ができません。そのため、彼らは私たちが使用している文字のことを「墨字」という言い方をしています。
点字のボツボツと指でなぞる世界
ところで、点字は見たことがありますか。エレベーター内の行き先を示す階数の下に打たれていたり、ご自宅の洗濯機の洗濯行程を指示するボタンの下に打たれたりしています。未成年の方は知らないと思いますが、缶ビールや缶酎ハイのプルタブの脇につけられたりもしています。でも、皆さんの記憶は変な点がボツボツ出っ張っているということくらいでしょう。でも、視覚障害児はあの出っ張りを文字として認識し、指先であれをなぞって読んでいくのです。当然、指先で触れる部分は限られています。それをいかに早く文字や文章として認識するかを実験的に検証していくのかが私にとっての研究の第一歩になりました。
錯視の図形はみたこと、ありますか?
青と黒のドレス、それとも白と金のドレス?
皆さんは錯視の図形や色彩など見たことがありますか?私がこの原稿を書いている時期に、インターネットで話題になっていたものがありました。ある女性が身にまとっているドレスが青地に黒の横の縞模様が入っているものなのか、白地に金の縞模様になっているものか人にとって見方が変わるというものでした。これは明確に意見が分かれて自分の見えている色と異なる色として認識している人を理解できないということになるわけです。この話題を取り上げたテレビのニュースキャスターのなかでも意見が分かれるのですから。
ミューラー・リヤー錯視
このように私たちが何気なく見ている世界のなかでも不思議な現象が起こります。同じ長さの線なのにそれに余計な図形が加わると、その長さが違って見えるということも生じます。その代表的なものにミューラー・リヤー錯視(Müller-Lyer illusion)があります。これはミューラー・リヤーが1889年に発表した錯視です。線分の両端に内向きの矢羽を付けたものと外向きの矢羽を付けたものの線分は、矢羽を内向きにつけた方が短く、矢羽を外向きにつけた方が長く感じるというものです。でも、実際に測りなおしてみると実際には同じ長さであるという非常にシンプルな錯視です。この錯覚が発生する説明は様々な側面から行われてはいますが、150年近くたった現在でも明確な解答は出ていません。
錯触はあるのか?
私が学部の学生だった頃、この錯視が視覚障害の人々のなかでも起きるという論文を目にしました。もちろん、目で見て起きるから錯視なので、視覚障害の人に起きるのは錯触(tactual illusion)ということになるのでしょう。さて、この実験を実際に行うにあたっては大変な労力を必要としました。手で触って長さを比較するにはその実験器具自体を作成しなくてはなりません。
数年前、母校の大学の実験室を訪れると数十年前に使用した器具がそのまま、残っていました。興味のない者にとってはつまらない実験器具で放置されたままだったのでしょう。まあ、研究なんてこんなものなのかも知れません。
数年前、母校の大学の実験室を訪れると数十年前に使用した器具がそのまま、残っていました。興味のない者にとってはつまらない実験器具で放置されたままだったのでしょう。まあ、研究なんてこんなものなのかも知れません。