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学長短信

2018/04/05

学長告辞(平成30年度入学式) №11

 春の光の溢れる4月の良き日、東京成徳短期大学、東京成徳大学、ならびに東京成徳大学大学院の新入生の皆さんをお迎えすることができ、たいへんうれしく思います。本学を代表しまして、心よりお祝いを申し上げます。また、ご列席のご家族・関係者の方々にも、心からお慶びを申し上げます。
 新入生を迎えるにあたり、ご多用中にも関わらず、東京都北区・区長花川様はじめご来賓の皆さまに、ご出席を賜りました。ご来賓の皆さまの前で、入学式を行うことができること、教職員一同、大きな喜びでございます。有り難うございます。

本学は、その建学の精神として、「成徳」の名前の通り、徳を成す「有徳有為(ゆうとくゆうい)な人間の育成」を目指しています。「成徳」の「徳」とは、人の生き方、行動のあり方の望ましい姿を示すものであります。人の生き方、行動のあり方の望ましい姿は、時代により変化し、昔は自分を犠牲にして社会に尽くすのが望ましいと考えられていた時代もありました。しかし現代は、自分または社会のどちらかを犠牲にするのではなく、それらの調和を図る生き方や行動が望ましいと考えられております。自分も社会、すなわち周りの人も大切にするような生き方や行動を学び、是非、身に着けていただきたいと思います。
 「徳を成す人間の育成」の建学の精神を、本学の教育理念として言い表したものが、「共生とコミュニケーション」です。「共生」とは、その字のとおり、「共に生きる」ということであります。世の中には、人種や国籍、年齢や性別、病気や障害の程度、価値観や考え方に至るまで、いろいろと異なる人がともに暮らしております。自分と違う人を見下したり、除け者にしたりしないで、互いの存在を認め合い、可能な限り理解や共感を寄せ、必要な助け合いをしながら生きていくということが共生の考え方です。別な言葉に置き換えるならば、「共生とは人間の多様性を理解し、それを尊重すること」と言えます。
そして「コミュニケーション」とは、皆さんご存知のように言葉や表情・ゼスチャーなどを使い相互理解していくことであります。「自分のことを人に分かって欲しい、認めて欲しい」と思うならば、黙って座っていないで、言葉や表情、行動で、「自分はどういう人間であるか、どのような状態であるのか」を相手の人に伝えなければなりません。それと同時に、「自分も耳を傾け人のことをわかろうとする」姿勢が大事になります。私どもは、人と人との「コミュニケーション」による相互理解のなかにおいてのみ、健全に成長することができ、そして幸せな人生を送ることができます。
以上のような「共生の考え方」や「コミュニケーション力」を、学生生活を通して学び、社会に出た後も、自分も周りの人も、ともに幸せにすることのできるような人間に是非なってください。
 
さてここで皆さん、これまでの人生を振り返り、自分の勉強を支えたものは、なんであったろうかと、胸に手を当てて考えてみてください。
まず、小学生の低学年のときは、いかがであったでしょうか。恐らく9割を越える人が、親から「学校の宿題はしたの?早くしなさい」と言われたことがあると思います。学校の勉強をすませて親にほめてもらったり、反対にいつまでも宿題をしないでいると、険しい顔の親から小言を言われたりしたことを思い出す人は多いと思います。勉強は、このように親から、いろいろと言われてすることから始まると言えましょう。この段階が「勉強の第1ステージ、ファース・トステージ」と考えられます。
次に、小学校中学年・高学年ごろから中学生あたりになると、「親からいい子と思われたい」「親を喜ばせたい」「親の期待に応えたい」など、第1ステージのときの、親に言われてする勉強から進歩して、自分のほうから勉強をしようとする意欲、能動性が生まれてきます。この延長線上に、中学受験や高校受験も出てきます。親が期待する、親の望む「中学」あるいは「高校」に合格しなければ、といった気持ちから勉強した日々のことを思い出す人も多いでしょう。このように親の喜ぶ顔や悲しむ顔などが勉強する自分の脳裏に交錯したりする段階が「勉強の第2ステージ」と考えられます。
さて高校に入ると、どうでしょうか。うん十年前の私ごとで恐縮ですが、高校3年生になって初めて、勉強は自分の将来のためにすることを強く意識したことを思い出します。それまでは、「運動や勉強で、がんばって親からいい息子と思われたい」とか「悪い点数をとって皆にバカにされたくない」とか、親や友だちに対する面目を保つために勉強をしていたように思います。それが、担任の先生から「勉強は誰のためにするのか」という問いかけを受けたことをきっかけにして、少しずつ、「勉強は自分の将来のためにすること」をはっきりと意識できるようになりました。オタマジャクシが、親からもらったしっぽが取れ、自由に動き回ることのできるカエルになったときに味わうであろう、世界の広がりを、当時、感じたことを覚えています。「親のために勉強する」段階を分母としながらも、それから一歩進んで、「自分のため、自分の将来のために勉強しようとする」この段階が、「勉強の第3ステージ」と考えられます。
私の場合、徐々にこの第3ステージに進みましたが、苦しみながら劇的に進む人もいるようです。さる新聞の投書欄に、十七歳の男子高校生の書いた、こんな記事を見つけました。
「中学の3年間、僕は部活、趣味、そして友だちを捨てて勉強し2年前、念願の高校に入学した。入学してまもなく、力が抜けた。目標がなくなった。昨年は、なんとか進級したものの、『無気力状態』はひどくなっていった。
学校に行って勉強する意味がわからなかった。すべてに嫌気がさし、自殺を試みたこともあった。何をしても、つまらなかった。だから、高校を辞めれば、精神的な苦しみから解放されると思い、辞めようと、何度も思っていた。
でも、最近になって、自分を冷静に見つめられるようになったとき、苦しみから逃げようとしている卑怯で情けない自分に気づいた。学校は、他人のためではなく、自分のために行くことが、ようやくわかった。結局、4月からは、もう一度、2年生をやることになった。
しかし、この1年間で、学校の勉強では得られない、他人にはない『何か』を得られたような気がする。挫折したこの1年間を無駄にしないためにも、4月から自分に自信をもって学校に行きたいと思う。」
以上。この高校生は、「なんのために勉強するのか」が見えなくなり、1年間、もがき苦しんだわけですが、それでも高校生のうちに「勉強は自分のためにする」というステージに至ったことは、よかったことだと思います。
ここまで、勉強の段階として、「親からいろいろと言われて勉強する」第1ステージ 、「親の喜びや悲しみを肩または背中に背負って勉強する」第2ステージ、「自分の将来のため、自分をパワーアップするために勉強する」という第3ステージの話をしました。さらに、より高い段階として、自分のためという枠を越え「世のため人のため、子どもや大人、高齢者の幸せ実現のために勉強をする」という第4ステージも考えられます。
新入生の皆さんには、入学したこの機会に、「自分は、果たして、誰のために、何のために勉強しようとするのか」について、今一度、自問自答をしていただければと思います。

結びに、本日入学した皆さんが学生として、大学での授業の学修ばかりではなく、クラブやサークルなどの課外活動、学園祭などのいろいろな行事にも積極的に参加して、充実した時間を過ごされることを祈念しております。また、学業を続けるうえで困難に出会いましたら、自分一人あるいは、ご家族だけでかかえこまないで、教員や職員に相談してください。みんなで力を合わせて、乗り越えていきましょう。                                                                    
                                                平成30年4月4日
                                                東京成徳大学学長  新井邦二郎 
 

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